健康寿命

「男女平均健康寿命」という呼称はかなり以前から使われていたようだが不勉強な私は「平均寿命」も「健康寿命」も同じだろうと捉えて来た。ところが正しくは「平均寿命」から自立不能な高齢者(要介護者数)を


差し引いた数を「健康寿命」と定義づけているのだという。つまり健康で支障なく日常が送れる期間(自立生活が可能な生存期間)を『健康寿命』と呼ぶらしい濟州自由行



聴きたくもないが『平均余命』なんて言語も生まれているのだとか・・「高齢者」が話題に取上げられる昨今は末期医療や終末医療という言葉が使われるが寿命の最長・最短などが表記され高齢者当人も自身が置かれ


ている位地を認識出来るのだという。「不老長寿」という言葉があるが今では栄養補助食品の販促用語にしか聴こえなくなった。



効能と説明に期待する人が多いのは当然だと思うが現実離れした御伽噺を聴くようで私には興味が湧かない。親しい人たちとの挨拶や世間話で『体調は如何ですか?』と訊かれて「至極健康です」と言い放って来た私は


歯科医以外、医師の世話になった経験が無かった。『健康優老爺』の表彰はないのか?と不届きな考えでいたら罰が当ったらしく急性肺炎で入院することになり、血管の萎縮や硬化を知ることになり処方薬を定食みた


いに飲み続ける日が続いたことである北海道機票



他頁のブログを覗いていて「100歳の健常者で病知らず」というコビーが目に留まる。「生活環境の調査結果」を読み終えた処で思わずメモを取った。部分を拾ってみると・・



         ◆同居家族が居る 
         ◆肉類を控え野菜やフルーツを摂る 
         ◆ミネラルを多く摂る 
         ◆ヨーグルトなど発酵飲料を飲むこと 
         ◆オクラや納豆などネバ野菜を食す
         ◆睡眠時間をたっぷり取る
         ◆一定程度の学歴
         ◆頑固でマイペース型 
         ◆ストレスを溜めない 
         ◆何か趣味を持つ 
         ◆多少の飲酒喫煙をする 
         ◆女性はお洒落を意識する
         ◆男性は色気を忘れない



多くの高齢者が同様の回答を寄せていたことに成る程と頷いた。100歳を越す女性の元気はお茶目で少しエッチが妙薬・・というのが微笑ましい。沖縄地方では食文化の違いもあり豚肉、海草を多く食べるそうだが油成


分をカットするなど加工には高齢者仕様が工夫されているようだ。海外を覗いてみると、キューバに100歳を越す高齢者が多く、自覚項目として『珈琲と葉巻は毎日だが酒とセックスは控え目』という回答が多い北京自由行。性に


は強い関心を持つ男女が多いという医師の談話が添えられてあった。



『人間は性本能が低下して行くと恐怖心が消えて、死が平気に思える様になる・・』と哲学めいたご意見がブログ上で目に留まった。作家「筒井康隆先生」の筆である。身を起こして読んでみる。「喫煙愛好者同盟」


のメンバーが集うお遊び広場?に寄稿されたエッセーの一文らしい。先生の文章に接するのは久し振りだが矢張り言葉にはチカラがあり読んでいて愉しい。筒井先生の春時代・・若かりし頃の寸描だが色白の美男で整っ


たマスクの持ち主であった。



今なら「イケメン」と騒がれたことだろう。当時は誰も真似ることなど出来ないお洒落な出で立ちであった。濃紺のビロードジャケット・・サックス系のワイシャツにシルクのアスコットタイ・・チェックのパンツ・


・足許はモカシンのブーツ・・別格を思わせるアクターの装いであった。大阪の都心、肥後橋に近いビルの一室・・劇団の稽古場に先生が現れると何がそうさせたのか周りは立ち上がって自分の席を譲っていた。昭和


30年頃の記憶である。



エッセイの見出し頁に近影が掲載され喫煙コーナーでは紫煙を燻らせてお喋りに興じる筒井先生の横顔があった。画像からは矢張り時の流れを思わずにいられない。近頃「抗老化医学」「アンチエイジング」がシニア


の合言葉のように言われるが与えられた環境で100歳の春を語れる日があるとすれば残る人生も捨てたものではないのかも知れない。

あなたの夢は何ですか? 私の夢はドゥラメンテ。

どうもキッチーです。


今日は競馬の上半期の締めくくり、ファン投票で出走馬が決まる春のグランプリレース、第57回宝塚記念(阪神 芝 2200m GⅠ)です能量水 新聞
ファン投票1位は、前回天皇賞・春を見事に逃げ切った北島三郎氏の持ち馬キタサンブラック。しかしオッズで1番人気に推されたのが現役最強馬と名高い、ドバイ帰りのドゥラメンテ。


前走のドバイシーマクラシック(メイダン 芝 2410m GⅠ)では、スタート直前に落鉄(蹄鉄が外れる事)があったものの、そのまま裸足で走って2位に入る大健闘。その視界は早くも秋の凱


旋門を捉えているかも知れません。


いやー本場馬入場では相当に入れ込んでいたドゥラメンテでしたが、そこは名手M.デムーロ、返し馬で何とか落ち着かせようとします。


馬場は少し湿り気のある力のいる馬場です。さぁいよいよファンファーレ。レースのスタートです。
まずまず揃ってのスタート鑽石能量水 騙局。予想通り先頭で逃げるのはキタサンブラック。ドゥラメンテは馬郡後方で最初のコーナーに差し掛かります。
最初の1000mは59秒1と、やや重い馬場としてはかなりのハイペース。武騎手の計算が狂います。4コーナーまでに馬郡中団まで押し上げていたドゥラメンテですが、最後の直線を向いて


馬郡に包まれ、前が空きません。
最後の1ハロン、逃げ粘りを見せるキタサンブラックとようやく前が空き末脚を見せたドゥラメンテを後ろに、ゴール前先頭に立った昨年のエリザベス女王杯を制した牝馬マリアライト


が、このレースの勝利を飾りました。2着がドゥラメンテ、3着がキタサンブラックでした。


ゴール後馬を落ち着かせる為に騎手はゴール後ギャロップで地下道に戻りますが、ドゥラメンテのデムーロ騎手はゴール後下馬し馬を気遣いました鑽石能量水 消委會。どうも歩様に異常を感じられたよう


です。このまま10月2日の凱旋門賞までコンディションを整えられるのか、少し不安を覚えます。
今年は既に凱旋門賞を見学に行く事が決まってます。ぜひ日本馬、特にドゥラメンテには活躍して欲しいです。

むかしむかしのきょうのぼく

ひーくんと話していて思い出した。
今はもう全っっ然なんともないから大丈夫なのだけど。


昔は「口が利けなくなればいいのに」と思っていたのだ。言葉なんて傷つけるだけだしと。何を言っても、言わなくても、どうせ届かないのならば、声に出したところで仕方ないだろうと。でもある人が、美しい言葉で手紙を送ってくれた。それを読んだときに、なんだかおかしな表現なのだけれどでも心から、ああ、自分は人間で良かったなと思ったのだ。
言葉を解する生き物として、この世に生を受けてよかったと瑪沙 閃肌水光槍


例えるならば、谷川俊太郎の「ほほえみ」という詩のようなことを考え続けていた日々だった。氏は著作権に厳しい方なので、引用は避けてさらっと内容だけ。
空は、微笑むことができないから雲を浮かべるけれど、人は微笑むことができるのに、微笑みで人を欺く。そういう。失望、じゃないけれど。悲しみとも違うな、諦めともつかない。なんだろうね。
誰かを恨んでいたわけじゃない瑪沙 去斑聚光槍。人を恨んだことは一度もない。いつも、堪えるのは自分の不甲斐なさとか、醜さとか、ままならない心に打ちのめされてばかり。自分の心なのにね、一番、扱いに難儀している。


あの頃に見上げていた空が、今思うと一番、美しかったような気もする。
人生って不思議なものだ。


とか、そんなことを懐かしんでいた折、不意にこの曲が脳裏をよぎったので。リリースされた当時はまだ、最後の雨音の意味がよく解らなかったのだけど、今はこのフレーズ以外にはありえないと感じる。
雨って優しい瑪沙 射頻瘦面槍


……と、きれいに終わらせてもよかったのだけど、以下はおまけ。笑。
せっかく人間に生まれたのだから、声を弾ませたい気分の日もあるさ。
しっかしサキと戯れている自分の声は絶望的にキモイな……誰だよこのチャライあんちゃん……