むかしむかしのきょうのぼく

ひーくんと話していて思い出した。
今はもう全っっ然なんともないから大丈夫なのだけど。


昔は「口が利けなくなればいいのに」と思っていたのだ。言葉なんて傷つけるだけだしと。何を言っても、言わなくても、どうせ届かないのならば、声に出したところで仕方ないだろうと。でもある人が、美しい言葉で手紙を送ってくれた。それを読んだときに、なんだかおかしな表現なのだけれどでも心から、ああ、自分は人間で良かったなと思ったのだ。
言葉を解する生き物として、この世に生を受けてよかったと瑪沙 閃肌水光槍


例えるならば、谷川俊太郎の「ほほえみ」という詩のようなことを考え続けていた日々だった。氏は著作権に厳しい方なので、引用は避けてさらっと内容だけ。
空は、微笑むことができないから雲を浮かべるけれど、人は微笑むことができるのに、微笑みで人を欺く。そういう。失望、じゃないけれど。悲しみとも違うな、諦めともつかない。なんだろうね。
誰かを恨んでいたわけじゃない瑪沙 去斑聚光槍。人を恨んだことは一度もない。いつも、堪えるのは自分の不甲斐なさとか、醜さとか、ままならない心に打ちのめされてばかり。自分の心なのにね、一番、扱いに難儀している。


あの頃に見上げていた空が、今思うと一番、美しかったような気もする。
人生って不思議なものだ。


とか、そんなことを懐かしんでいた折、不意にこの曲が脳裏をよぎったので。リリースされた当時はまだ、最後の雨音の意味がよく解らなかったのだけど、今はこのフレーズ以外にはありえないと感じる。
雨って優しい瑪沙 射頻瘦面槍


……と、きれいに終わらせてもよかったのだけど、以下はおまけ。笑。
せっかく人間に生まれたのだから、声を弾ませたい気分の日もあるさ。
しっかしサキと戯れている自分の声は絶望的にキモイな……誰だよこのチャライあんちゃん……