むかしむかしのきょうのぼく

ひーくんと話していて思い出した。
今はもう全っっ然なんともないから大丈夫なのだけど。


昔は「口が利けなくなればいいのに」と思っていたのだ。言葉なんて傷つけるだけだしと。何を言っても、言わなくても、どうせ届かないのならば、声に出したところで仕方ないだろうと。でもある人が、美しい言葉で手紙を送ってくれた。それを読んだときに、なんだかおかしな表現なのだけれどでも心から、ああ、自分は人間で良かったなと思ったのだ。
言葉を解する生き物として、この世に生を受けてよかったと瑪沙 閃肌水光槍


例えるならば、谷川俊太郎の「ほほえみ」という詩のようなことを考え続けていた日々だった。氏は著作権に厳しい方なので、引用は避けてさらっと内容だけ。
空は、微笑むことができないから雲を浮かべるけれど、人は微笑むことができるのに、微笑みで人を欺く。そういう。失望、じゃないけれど。悲しみとも違うな、諦めともつかない。なんだろうね。
誰かを恨んでいたわけじゃない瑪沙 去斑聚光槍。人を恨んだことは一度もない。いつも、堪えるのは自分の不甲斐なさとか、醜さとか、ままならない心に打ちのめされてばかり。自分の心なのにね、一番、扱いに難儀している。


あの頃に見上げていた空が、今思うと一番、美しかったような気もする。
人生って不思議なものだ。


とか、そんなことを懐かしんでいた折、不意にこの曲が脳裏をよぎったので。リリースされた当時はまだ、最後の雨音の意味がよく解らなかったのだけど、今はこのフレーズ以外にはありえないと感じる。
雨って優しい瑪沙 射頻瘦面槍


……と、きれいに終わらせてもよかったのだけど、以下はおまけ。笑。
せっかく人間に生まれたのだから、声を弾ませたい気分の日もあるさ。
しっかしサキと戯れている自分の声は絶望的にキモイな……誰だよこのチャライあんちゃん……

洗濯機と相撲をとる

朝から涼しかったので気持ちよく寝坊した。一日中、今にも雨の降りそうな空だったけれど、実際には短時間しか降らなかったと思う。風が涼しく感じられた。


 昨日は久しぶりに家電量販店に行った。特に考えもなく訪れた店だったのだが、洗濯機の相談に乗ってくれた店員もテレビを案内してくれた店員も、質問に的確に答えてくれて説明も分かりやすく、清潔感があってとても感じがよ更年期中醫調理かった。そういう部分はお金では買えないので、他店と値段を比べるまでもなくそのままそこで気持ちのよい買い物をした。


 なんとなく気に入らないなと思いながら5年以上も使っていたドラム式洗濯機は、ようやく縦型のものに買い換えることになった。毎日使うものが新しくなると思うとちょっと心が踊る。この機会に洗濯機の下や後ろ暗瘡護理側など、今まで掃除ができなかったところを掃除できるのもうれしい。動かそうと思っても、びくとも動かなかったのだから。