パソコン離れ

超、久しぶりに、パソコンから入力している。


ご無沙汰の、別の自分のブログをチェック。
しかし、ぜんせん、ログインできない。
登録メールアドレスから、手続きをやり直そうにも、「そんなアドレスには登録されていません」と出てくる。
それ以外に、アドレスはない。
ノートに、パスワードやIDをメモしていないか探しまくる。
気合を入れていない、お遊びブログなので、メモは見当たらない。
新しいIDを作ろうとしたり、いろいろ手を尽くしてみる・・・
クレジットカード番号、下8ケタから、サイトで使っている自分のIDなどがわかる手引き(導き案内画面)が出てきたが、
大事なクレジットの個人情報を入れて探すのは、なんだか怖かったので、途中でやめた。
しかし、なんでだ? 
なんで、正しいメールアドレスから手続きしようにも、作業が出来ない。
ひょっとして、インターネットバンキングも、悪者に乗っ取られているかも?などと、次々に不安の連鎖に。


が、なんやらかんやらしていると、


まあなんと、サイト側のシステムエラーに振り回されただけの、貴重な1時間半。


スマホで、ほいほい、ちょいちょい、と、やっているほうが、ずっと気楽。
意外に、パソコン画面ではじめて見る、蝶ブログの北海道写真が、すごく大きくて、びっくりした。
スマホでは、そんなに画像が大きいなんて想像もしていなかった。


撮った写真を選んで、ちょいちょいっと指で、くるくるしただけ。
写真アップは、パソコン操作のほうが、だんぜん、めんどうくさい。


スマホに慣れると、朝のパソコンタイムがぽかっと空いて、有効的に時間を使える。
最近では、お気に入りの空間にじっと座って、静かに何もしない、僧侶のように瞑想タイムになっている。
静寂を味わい、楽しんでいる。(実年齢より30年先取り心境)
いったんパソコンを開けると、かじりついてしまう傾向があるので、時間を忘れてしまう。


その点、スマホは、外出時のみ。
でも、その延長で、自宅でもスマホのほうが便利になってきている。
スマホ離れならぬ、パソコン離れが進んでいる、わたしである。


パソコンを離れて手に入れたもの・・・


こころは、30年先に行っている。

残りの人生

一心不乱に働き、家も建て、子供たちも立派に育て、奥さんとも仲良し。
愛と成功に満ちた家庭と人生。
この男性、60歳を超えて、ふと、カミングアウトしたくなったそうだ。
自分が好きなのは、オトコであると。
これまでの積み重ねはどうなる? 築きあげたものは?
子供たちは社会的にもハイポジションにいる楊海成
いまさら、オトコが好きだ、なんて言って、どうする?
でも今まで一生懸命やってきたのだ。
これからの人生、限られた残された時間を自分らしく生きていきたい。
しかし、どうしたものか。
自分の胸の中だけに閉まっておいたほうがいいか・・・。
悩める若きオジイチャン、ジェントルマン・シニアである。



また、ある50代後半女性。
これまで、知性と教養で生きてきた。
女性的魅力をアピールするのは、良くないことだと信じ、オンナを封印して、おしゃれもしなかった。
一生懸命、フルタイムで働いてきた。
子供も育て、夫はすでにリタイア。
あとほんの数年後に迎える定年を目前に、目覚めた。
残された人生を自分の理想どおりに生きたい。
これからは、オンナとしての喜びを存分に楽しもうと。
悪い女になって、遊ぶんだそうだ。悪女志願。
いままでの封印していた鬱憤が、一気に噴出した楊海成
贅沢で享楽的で、オンナを武器にした遊び・・・刹那的に生きたいそうな。
ただし、定年後の話。
ぱぱっとお金を一気に使いたいそうな。



60歳でオンナを武器に・・・その年齢で、どのあたりまで武器にできるのか、定かでないが、
遊ぶつもりが遊ばれ、お金をむしり取られたり、へんな男性に引っかかり騙されないように願うばかりだ。
悪人、悪質ではないにしても、
善良で時間を持て余し、でもお金がないので若い女性やお金のかかる女性が相手してくれない、
欲求不満のおじいちゃんが寄ってきて、そういう人たちと遊んでも、面白いかどうか、
そのあたりは、うかがい知りませんが。
需要と供給がマッチすると、うまくまわっていくのかも知れないが。


オンナであることを十分に満喫できなかった女性が、女性としての最終章を迎え、
その時期に狂い咲きする、と、あるプレーボーイ氏が言っていた。
ひとつの特徴ある現象なのかも知れない楊海成


・・・


自分らしく、今までは、社会的役割や枠組みがあり、できなかったことを
残された人生、悔いのないよう、自分に正直に、やっておきたい。
そう思っておられる。


なるほど・・・。
できる範囲であれば実現されたらいいかと思うが、なにぶん、家族の了解やお金が必要なので、
自分ひとりの判断で独走してもいいのかどうかだ。
自分は納得できても、家庭が破綻し、家族が散り散りに離散したりしたら、
自分はそれでも楽しいか、どうかだ。
そのあたりは、それぞれの人の価値観によるものだろう。


今まで、頑張って、まともに来た人生だけに、揺り戻し的な反動が大きいのだろう。
溜まってるのものが、堰を切ったようにどどっと出ると、すごい勢いがある。
お二方、どうされるのかは存じないが、それぞれに後悔のないように過ごしていただきたいものだ。

富裕層が集まるデパート

大阪、梅田、H百貨店(同じH百貨店でも、下町を走る電鉄会社系ではなく、山の手、高級イメージのほう)に行くと、貧富の差を感じる、と、若手・顧問税理士Kが言って


いた。


「金持ちって、いるところにはいるんですね」
と、目を丸くして興奮気味實德環球


姉も、あのデパートで、富裕層ファッション・ウォッチングをすると楽しい、と言っていた。


高級外車で駆け付ける、ベビー連れのママ友たち。
まあなんと、おベビー様は、お高そうなベビー服を着て、ママたちも高級ブランドに身を包んでいたそうな。
梅田のど真ん中、電車で来いよ、と、無関係な他人の声。


若い人はブランドがんがんだが、しっとり年齢層の奥様たちも、上から下まで、それはそれは上質な服装。
ギンギン、ブランドを表面には出していないが、バッグまで、一点ものと思われる、いかにも高額で趣味の良い装い。
ヘアも当然、手を抜くことなく美しく整えられ、トータルコーディネートは完璧、お金持ち〜というオーラを放っているそうだ。
服装、身なりによる、富裕層判定である實德環球


家に帰って、姉のマダム・ウォッチングの詳細を下の娘に説明すると、
「お金の全てを服装に使っているのかも知れへんやん」と。
相変わらず、ユニークな反応。
全身ユニクロ・トータルコーディネイトは快適だ、という、コメント付き。


なるほど。
各自の価値観。
若手顧問税理士Kは、一昨日、会議室で姪が着ていた、とある人のお下がり服を良い品質だと褒めちぎっていた。
が、わたしは、物質的には上質であるとは思ったものの、誰が、どんな人が、いつ、どんなケースで、どのように着るか、だと感じる。
人が身につけて、初めて服は生きる。
物質的に服の質を褒めても、それはあくまでも一面であり、あまり意味がない。


その会議の時に、わたしは自分の着ていた服が安物だったこともあり、自信のなさから来る反発を感じたからかも知れない。
ちなみに、最近の若手・顧問税理士Kの服装は、けっこう、へん。
おそらく、彼の精神状態を表しているとわたしは見ている。


服装は、人なり。


しかしなあ、お買い物するために都心のデパートに来る時の服装、気張ってみてもなあ。
いわゆる、よそいき。外出だけで、何も作業しない服實德
普通の生活がそのレベルだとしても、いかにもお高い上質な服で、作業が出来るか?
1日中、着ていて、着崩れたり汚れないか?
仕事する人だとしたら、演説や遊説のヒラリーさんか、小池さん。
あるいは、ファッション関係の仕事をしている人。
または、皇室などの公人。
映画で見る貴族を想像してしまう。
それ以外の人なら、お高い服は、たんなる道楽。
お金持ちの道楽が、たまたま服だった、ということだ。
服以外にも、道楽の対象はたくさんある。
その、Hデパートの富裕層(認定基準は、服レベル)は、衣食住の暮らしの予算が、庶民の何十倍の額をさらっと消費する、生活水準の高い、とてつもない大金持ちか、
そうでなければ、あまりこだわりのない人生を送っている、欲のない、幸運な人だろう、と人物像を推測する。
しかしながら、お金持ちは、ぼ〜っと、ぼやぼやしていると、相続税であっという間に、身ぐるみはがされる。


まあそれはそれとして、やはり、H百貨店の顧客は富裕層で、わたしは庶民だと感じた。
わたしは、K百貨店派。
地元重視なら、T百貨店。
で、それがどうした?の話でした。